評価する人間

昨夜、とてもショックな連絡があった。自分が所属する研究会の代表発表者に立候補していたのだが、それに対する返事が内々に来たのだ。…早い話が選にもれたということ。2人の枠に立候補者が3人。わたしが一番キャリアが下なので、選にもれても仕方がないと思っていた。それは本当。
しかし、決め方がかなり怪しかったようなのだ。どうやらわたし以外の2人は正式な立候補者ではなく、研究会の代表幹事が水面下で話を決めていた模様。表向きのアンケートで立候補をしたのは、なんとわたしだけだったようなのだ。わたしが立候補するように声をかけてくださった幹事の人の話では、「そんな決め方はおかしい。きちんと立候補した人間がやるべきだ」とのこと。
正直、わたしにはそれがおかしいのかどうかはわからない。表向きと内情が違うのはどこでもあることだし、わたしのキャリアが浅く実力不足なのは事実なのだから。とはいえ、正式に立候補したにも関わらず、今になっても代表幹事から何の連絡もないのは最低の義理を欠いているとは思う。少なくとも、直接結果は知らされるべきだろう。
正式に立候補した身でありながら自分が選にもれたこと・実力不足だと評価されたことは確かにショックだし、落ち込むべきところだと思う。そして、これからもっとがんばるべきだとも。それとは別に、水面下でこそこそ話が進み、結果の連絡も無いということに複雑な気持ちがする。
今日、同じ研究会に所属し、かつては幹事をされておられた職場の先輩に話を聞いてもらった。「どういう風に決めてるかはわからん。正直、立候補以外に管理職の意向で決まる場合もある。だが、幹事内で意思統一ができてないのはガタが来てるのかもしれん。結果は知らされるべきだが、忙しくて抜けているのかも。そんな風に思われていて、これから決まったとしてもケチがついて嫌やろ。もう無かったと思った方がいい」とのこと。その通りかもしれない。
「確かにチャンスを逃したのかもしれんし、これから代表になることもないかもしれんな」と厳しい言葉ももらった。でも、確かにそうだ。そして、わたしも今回のことに納得の行かない限り、もう立候補することもないだろう。今回も、声をかけてもらった幹事の方の薦めがあったからで、代表幹事に対する不信感が芽生えたことで研究会への参加も気が進みそうにない。
昨年度、夜遅くに何回も人のために遠いところまで出張をした。職場からも、自宅からも遠いところで、ほぼボランティアだ。もちろん自分の勉強のためだが、今は少し違ったように思えてしまう。その前の年、自分の採用試験で忙しいときも、その研究会の大きな発表会のための冊子作りを手伝った。今から思えば、いったい何のため…?最低の義理さえ欠く研究会のために??
昨夜は、自分が情けなくて、悔しくて、空しくて、涙ばかりが出た。深夜まで眠ることはできなかった。朝、寝過ごして職場に行くと、先輩に「目が腫れてるでー。遊びすぎたかー」と声をかけられた。そんなことだったら良かったのにと思う。
がんばらなくても評価される人間もいて、がんばっていても評価されない人間もいる。どこの世界でも、そんなもの。そんな人間がいっぱいいる。同じように、おこがましくも人を評価する立場にいる人間の一人として、がんばっている人間を正当に評価できる人間でいたいと強く感じた。